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神戸家庭裁判所 昭和56年(少)3377号 決定

主文

この事件については、少年を保護処分に付さない。

理由

一本件送致事実の要旨は、「少年は、中学生時代から実父(当四九年)よりその素行についてなじられ、あるいは野球バットで殴られる等の迫害を受け、更に数日前から少年が会社を休んだことを叱責されたことに噴怒し、同人を殺害しようと企て、昭和五六年六月一五日午後一一時四五分ころ、神戸市内自宅一階六畳和室において、台所から持ち出した出刃包丁一丁(刃渡り20.8センチメートル)を両手に持つて同所に就寝中の同人に近寄り、その背後から同人の左背中中央部付近を一回突き刺し、よつて同人に対し左背部刺創、左肺貫通創、心臓刺創の重傷を負わせたが、殺害の目的は遂げなかつたものである」というのである。

二よつて審理したところ、少年が右日時、場所において、右(実父)に対し殺意を持つてその背部を右出刃包丁で突き刺し、右傷害を与えた事実はこれを認めることができる。

そこで右犯行当時の少年の精神状態について考察してみるのに、鑑定人医師加藤董香作成の鑑定書によると、少年は昭和五六年五月中旬頃妄想型精神分裂病を発病し、本件犯行数日前から妄想着想、妄想知覚が活発化して、妄想が現実を圧倒するようになつていて、本件犯行はそのような状態の許で殺人命令とも言うべき奇妙な妄想に支配されてなされたものであることが認められる。してみると、少年は本件犯行当時精神分裂病の罹患により是否弁別能力及びその弁別に従つて行動する能力を欠いた、刑法三九条一項にいわゆる心神喪失の状況下にあつたものというべきである。

ところで、少年法三条一項一号にいう「罪を犯した少年」とは構成要件に該当する違法且つ有責な行為をした少年をいうものと解すべきであるから、責任能力を欠く本少年を「罪を犯した少年」として保護処分の対象とすることはできないものというべきである。

次いで少年を同法三条一項三号の虞犯少年と認定し得ないか否か検討してみるのに、前記鑑定書によると少年は現在もなお妄想が活発で体系化され、更にこれを中核として新しい妄想が派生しつつあるという状態にあり、父が生きているなら父は自分を殺すから父と勝負しなければならないと考えており、又少年鑑別所から自分がかつて稼動していた会社宛に知人三人を殺してくれるよう依頼する旨の手紙を出そうとした等の事実が認められるから、今後も妄想に支配されて本件と同様の殺人、傷害等の事件を起こす虞はあるものと肯認しうる。ところで虞犯少年はあくまで将来における危険性に着目して保護処分の対象とするのであるから、虞犯行為そのものには責任能力の要件を必要としないものと解せられるが、「犯罪少年」の成立に有責性の要件を必要とすることに鑑みれば、将来犯すことが予想される「罪」は当然有責性をも備えた犯罪でなければならないというべきである。少年は前述のように将来殺人、傷害等の事件を起こす虞は認められるが、予想される行為は妄想に支配された責任能力を欠いたものであるから、それは少年法三条一項三号にいう「罪」には該当せず、結局少年は虞犯性の要件を欠くので虞犯少年として保護処分に付することもできないものといわなければならない。

三以上のとおり少年は少年法三条一項各号に該当せず保護処分に付することができないから、少年法二三条二項により主文のとおり決定する。

(井戸謙一)

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